政治は信仰心か政策か
昨日、岸田総理に炸裂した文春砲から旧統一教会問題は新たな展開を迎えそうですが、今回はその旧統一教会に限らず宗教と政治の問題を考えるときに私が常々疑問に思っていたことがあって、この疑問とほぼ同じ内容の記事が掲載されていたので紹介したいと思います。
その記事は公明党と創価学会に関する内容なのですが、まず前提として公明党の支持母体がこの創価学会という宗教法人であることは今さら説明する必要はないかと思います。選挙となれば学会員の方達が知り合いにお願いに回ったりと熱心に選挙活動をされているのはかなり知られている話でしょう。
やはり選挙においては多くの無党派層の票をいかにして集めるかは重要なポイントだと思いますし、私は創価学会はもとよりこういった活動についても否定する気はありません。もちろん他の政党についても当然それは同じでしょうし、自分達が支持する政党を応援することは当然かと思うからです。
ただ、私が疑問を抱く点というのが今回のタイトルにあります通り、政治に対して重要なのは“信仰心”なのか“政策”なのか、というところなのです。
で、今回紹介する記事の内容としては
創価学会の元理事長を父に持つ正木伸城さんというライターの実体験の話なのですが、この方は創価高校・創価大学を卒業された熱心な学会員の方で選挙活動にも精力的に取り組んでいましたが、ある時に公明党に対する疑念が生まれたそうで、それは2003年のイラク戦争において日本からも自衛隊を派遣するということに対して公明党もそれを容認したことが始まりだったそうです。
イラクへの自衛隊派遣が反対であったこの方からすると、当然そこに公明党との考え方の違いが大きく生じるわけです。もちろん、これを容認した公明党の判断には賛否両論あるかと思いますが、そこは今回の話の論点ではありません(笑)
この正木さんという方が納得のいかなかったのは信仰心と政策についての食い違いであり、それについて自分の考えを創価学会のさまざまな幹部の方達に伝えたそうですが、そこで返ってくる回答は
「公明に反対するお前は信心がおかしい」
「お前の退転の命を俺が斬ってやる」
「お前がしていることは組織批判、同志誹謗だ」
「祈れば公明の正しさがわかる」
というような言葉で自身の考えを全否定されたそうです。
当然ながら、この方が討議したかったのはあくまで公明党の“政策論”であってそれを“精神論”で論破しようとする幹部たちの言葉にかなりの不信感を持ってしまったわけです。
そこで、ラチが明かなかったことからこの方は学会のとある副会長にこう相談したそうです。
「政策に納得ができない時、それでも公明党を支援すべきなのでしょうか」
この質問に対し、この副会長は
「納得がいかない点はどこ?」と聞いてくれたそうですが、そこで自分の考え(政策論)を話すうちに、この副会長の顔が曇っていき、こう言ったそうです。
「公明党は池田先生がつくられた政党だ。弟子として応援しないのはあり得ない」と。
つまりは、党としての政策など二の次で「創価学会の人間だから公明党を支持するのが当り前だ」ということを言っているわけです。
私が思うに、この説明で納得できるのは生粋の創価学会員だけで一般の方には、まず納得を得られないでしょうね。
もちろん、この方も納得いかなかったようで
「確かに宗教的にはそれも大事な視点ですが、純粋に政策で選ぶならまだしも『池田先生のため』『同志である学会員が候補者だから』という理由で公明党を選ぶのはどうなのでしょうか?」
と食い下がると、この副会長は
「お前は二乗根性にやられているんだ!」と言い放ったそうです。
ちなみにこの「二乗」とは簡単に言うと「頭でっかちな人」というような意味があるそうです。(初めて知りましたが 笑)
そして、この方はひどく落ち込みましたが、のちにこう思ったそうです。
公明党の判断と池田氏(創価学会)の考えは「必ずしも一致するとは言えない」と。
そもそも公明党支持に賛同できない学会員に対し宗教的な言葉で非難の言葉を浴びせるのはおかしいし「公明党を支援すること」と「信心の有無」は本来関係があってはならないはずだと。
この考え方は私もまったく同じで、信仰の自由が認められるのと同様に政党を選ぶ自由もあるわけで、それをごっちゃにして非難するのはおかしいと思うのです。
ちなみに今年の参議院選挙において、私も同じような経験をしたものですから少し書かせていただくと
ある熱心な学会員の知り合いの方が、やはり選挙のお願いに来られたのですが以前のブログにも書いたように私は個人事業主ですから「経済政策において“賃上げ”よりも“減税”を望みますしインボイス制度にも反対ですから与党(公明党)に投票することはありません」と答えさせていただきました。
で、その時にこの正木さんと同じように私が感じた疑問を投げ掛けたわけです。
「〇〇さんも個人事業主ですから減税の方が助かるしインボイス制度も家計に大きく影響するのではないですか?」と。
すると「それはそうなんですが・・・」と、やや歯切れの悪い返答でしたので、さらに私が
「仮に今回もし与党(自・公)と野党の政策がまったく逆だったとしたら、〇〇さんは野党に投票するのですか?」と質問したところ
「いや、私は学会員ですから公明党(与党)に投票します」と、そこはきっぱりと断言されたんですね ^^;
やはり私も正木さんと同様に
「いやいや、選挙において党の政策は関係ないというのはおかしくないですか?」
「それは思考が停止してるのと同じではないですか?」
ということを伝えたのですが、そこはやはり個人の自由ですし完全に私が否定するのもおかしな話ですので最終的には「お互いに応援する政党に投票しましょうね」という話に落ち着いたのですが(笑)
何が言いたいかというと、これがまさに今回のタイトルである“政治は信仰心か政策か”というところなわけです。
で、ここで正木さんの話に戻しますが、学会幹部であったこの方の父親いわく
「宗教的信念ならベストを選べるが、政治はベターしか選べない」とおっしゃったそうで、この言葉に救われたそうです。
なるほど、そういうことかと。
つまり、結論としては“信仰心”と“政策”が完全に一致することはないということです。この話でいうと「公明党の政策はあくまでベターであり、創価学会の考えと完全に一致するものではないがベターな政策を託すには公明党が相応しい」という考えに至ったというお話です。
まぁ、これはあくまでこの正木さんの例であって結局は個人の考え方に委ねられるわけですから、そこを論じたところで正解も不正解も無いのでしょうが。
ただ、この話でいえば自分の父親以外の幹部の考え方(発言)には違和感を覚えるのも事実で、ここを大きく踏み外してしまうといま問題となっている旧統一教会と自民党のような関係性に繋がっていく危険性を含んでいるというのも否定できないのではないでしょうか。
どのような宗教を信じるのであれ、そこはしっかりと自分なりの線引きを持つことが重要ではないかと思います。
これを読まれた有権者のみなさんは“信仰心”と“政策”どちらを優先してますか?
2022年08月26日 00:22