指導における的格と適切の違い(その2)
前回、以前勤めていた会社において女性社員が退職した理由についての話を書きましたが、私としてはどうしてもこの会社の“経営理念”とも言える稲盛和夫氏の教えと照らし合わせて考えてしまうクセがついてしまっているようで(笑)今回はそこにスポットを当てた私の考えを書いてみたいと思います。
まず、あらためて私が指摘するこの女性社員の退職原因となった部門長の発言
「あの社長には何を言っても無駄だ。聞く耳など持っていないんだから」
これについては自身の確信からくるものであり、的確であるという話を書きましたが、言い換えるなら“本音の話”とも言えますよね?
ここで稲盛さんの教えの中から一つ紹介させていただくと“本音でぶつかれ”という思想があるんですね。
これは社内の人間関係においても「なあなあ」で済まさずに本音でお互いの考えをぶつけ合うことが大切で、こうした中から信頼関係が生まれて良い仕事ができるようになると説いているわけです。
で、私が何を言いたいかはもうお分かりだと思いますが、この部門長の発言が“指導”であるかという点は抜きにしても“本音”でぶつかっているのは確かだという点です。
つまり「社長は聞く耳など持っていないんだから何も求めるな」と(笑)
もちろん、この稲盛さんの経営哲学(フィロソフィ)を導入した新社長も勉強会において「本音でぶつかることが大切なんです」と説いていましたので、ある意味で言うとこの部門長は愚直にそれを守ってるとも言えるわけですよね?
ですが、そのおかげで信頼関係が生まれるどころか、まったくの逆で女性社員は“退職”を選んだという・・・本音でぶつかったら部下が辞めちゃったっていう、まるでコントのような話でもあるんですね。
これに対し“聞く耳を持たない”という、いわばレッテルを貼られた新社長からするとどう判断するでしょうか?
盛和塾の塾生として学んできた知識からして
「部下に対して何という対応をしているんだ!」
と怒りの感情を持つのか、あるいは
「稲盛さんの教え通り本音でぶつかっている。女性社員が退職したことはあくまで結果論であって、対応としては的確であり適切だった」
という判断に至るのか、大まかにはこの2パターンなのかなと思うのですが、もちろん私からするとこれを書いている時点で前者の考え方です。ただ、新社長が後者の考え方であっても驚きはありません。
ここで少し話をまとめるとこの女性社員は会社に対して良かれと思う本音をぶつけ、部門長も本音で対応したと、いわゆる本音でぶつかり合ったわけです。ついでに言うと私の退職時にもそれこそあり得ないくらいの本音で対応していただきました(笑)
で、どうなったかというと本音をぶつけた従業員2人はすでに会社を去り、この部門長だけが残りましたということで・・・これが新社長には普通のことであり、稲盛さんの教えに対する理解なんだろうなと思える部分でもあるわけです。
でも、この結果って稲盛さんの教えに対して新社長、部門長、私、女性社員のうち誰かしらがどこかしらの理解がおかしい、あるいは4人全員の理解がおかしいって話になりませんか?少なくとも従業員の2人は、やる気を無くして辞めてるわけですから(笑)
これが、まさに以前“京セラフィロソフィ”のお話で書いていたように、新社長の言う「フィロソフィを導入して良くならない会社は無い」という言葉に対する私の疑問「会社が良くなるってどんな状態なの?」というところに繋がるんですね。
本当に若い社員が次から次に辞めていき、今や平均年齢はゆうに50歳を超えているんじゃないかなと思うのですが、それが新社長の目指した“良い会社”の姿なのか・・・
もちろん、年齢が高い社員が使えないと言ってるわけじゃなくてそこも大切にすべきだと思います。ですが会社の将来を考えた時に若くてやる気のある社員というのは貴重な存在だと思いますし、正直なところ若い社員の退職の早さを危惧していた私としては、もっと違った意味で良い会社になることを期待した時期もあったので随分と考え方が違うなと。
ということで「何だかな~」と、モヤモヤ感の残る話だったのでこのブログもモヤモヤ感を残した終わり方にしておきます(笑)
2024年10月10日 23:52