人として大切なことは筋道か忖度か
早いもので今年も残すところ1ヵ月半を切っておりますが、仕事については年内納めの大口も残っており、とりあえずラストスパートという感じでやっております。
「だったら、しょうもないブログばっか書いてないで仕事しろよ」と言われそうですが、そこは諸事情により少し時間が空いたので(笑)
さて、今回のタイトル“人として大切なことは筋道か忖度か”というお話ですが、最初に断わっておくとそんな大層な話ではありません。そして今回も前職(サラリーマン時代)においての経験がネタ元になるのですが、なんで前職の話が多いのかというと・・・単純にそれ以外の“ネタが無い”からです(笑)
どう考えても、やはり人生の半分以上の年月に渡って勤務していた会社ですからネタが尽きることが無いというのは当然ですよね。
ということで本題に入りますが、いまこれを読まれているみなさんの中に“筋道を通す”という言葉を知らない方はいないかと思います。これはいわゆる約束事を守るとか感謝を忘れないというような“義理堅い人”といったニュアンスで使われるようにポジティブな意味に受け取ることができますよね。
一方で“忖度”という言葉も近年よく耳にすることが多いかと思いますが、これは“相手の気持ちを推測する”という意味になるので、本来はこちらもポジティブな意味合いになるはずですが、現代の使われ方としては“相手の顔色を伺ってゴマをする”みたいなネガティブな印象も強いのではないでしょうか?
いわゆる“自分にとってのメリットで判断する人”のような使い方ですね(笑)
ちなみに私が高校を卒業後、18歳で社会人となった当時に先ほどの“筋道”に非常に厳しい上司の方がいて、私も何かにつけて「お前、それは筋が違うだろう」というお叱りを受けることが多々ありました。(もちろん反社の方ではありません 笑)
今の若い世代の人達ではなかなかこの筋道というセリフに馴染めない人も多いかもしれませんが、時代的な背景もあるのか私はそこに対して何の抵抗もありませんでしたし、それこそ“義理堅い人”という印象をずっと持っていました。違う言い方をするなら“恩義を忘れない人”とも言えますかね。(同じかな?)
そして、この上司は最終的には役員にまでなられて、いわゆる“勝ち組”と言われるサラリーマン人生を歩まれたわけです。
で、ここで“はい、チャンチャン”とこの話が終われば「やっぱり人として筋を通すことは大事だよね」ということでそれなりに良い話なのですが、それではネタになりません(笑)
実はかれこれ10年以上前の話になりますが、この方が65歳の役員定年を迎えられた時に社内報に労いのメッセージを掲載することになり、数人の社員が代表して書くことになったのですが、その中の一人として私にも依頼があり、つたない文章ではありますが“長い間お疲れさまでした”という内容と、私なりの感謝の気持ちを書かせていただきました。
それは“人としての筋道を通す”ことの重要性を教えていただいたこの上司に対する私なりのメッセージであり、当然ながら書くことを拒むという選択肢はありませんし、もちろん送別会にも心良く参加させていただいたことも私の中では当たり前のことです。
付け加えておくと、この送別会というのは役員定年を迎えられた一区切りとしての開催であったため、この方はその後も嘱託として会社に残られましたので私の退職時においても同じフロアに在籍されているという状況でした。
で、これまでにも書いてきたように私は6年前にこの会社を退職したわけですが、この“人としての筋道を通す”ことを厳しく指導してこられたこの方が、いざ私の送別会を迎えた時には“欠席”を選択されたんですね。
私の受け留めとしては「いやいやいや・・・筋道はどないしたん?」ですよ(笑)
何と言えばいいのか・・もちろん怒りとか悲しみとかいった類の感情はありませんが、ただただこれまで私に言ってこられたことに対しての「はぁ?」という疑問は湧きますよね。
正直なところ、この“筋道”にこれだけこだわってきた方でなければ、私も何てことない「あ、そうなんだ」って話なんですけどね。
現にこのブログで何度も出てくる“塩対応”部長ももちろん欠席でしたが、この方の場合は以前から部下の送別会は必ず欠席することを徹底していましたので、ある意味で言うと清々しいといいますか、むしろ“筋道”云々というよりも人としての“感情”が欠落してる方なんだという認識が私の中で定着していましたから、気にもならなかったんですね(笑)
ですが、この“筋道”を口酸っぱく言ってこられたこの方が同じ対応というのは如何なものか?と思うわけで、そう考えると実はこの方が最も大切にしてきたのは“筋道”ではなく、正確には“忖度”というやつじゃないの?と私は思うのですが、どうでしょうか。
つまり、私が会社を辞めた原因はこれまでにも書いてきたように新社長のやり方に異を唱えたことが始まりですから、当然ながら私のことを良く思っていないわけです。
そこを考慮すると、この上司としては新社長が良く思っていない私なんかの送別会には参加しづらいというのも分かりますし、冷静に“損得勘定”した場合に割が合わないと判断したのでしょう。
たとえそれが自身に労いのメッセージを書いてくれたり送別会にも来てくれた人間であろうと、何を基準に考えるかは自身にとってのメリットになるのかデメリットになるのか?そこを最優先とするのが、この方の重んじてきた“人としての筋道”であり冷静な判断力でもあるわけです。
これを生涯貫いたからこそ役員にまでなられたわけですからサラリーマンとしては正解なんだと思います。
ただ、これはあくまで個人的な考え方ですが、私は自分の部下であった人間の送別会を社長の顔色を伺って欠席するという選択肢を持ち合わせていませんし、持ちたいとも思いません。ましてや自身の送別会に来てくれた人間なら尚更のことであり、これが私の考える“人としての筋道”なんですね。
ですが、これは単に“人としての筋道”に対する定義が私とはまったく違ったということであって、そこを見誤っていたことに気付くまでに私が30年以上を要したというだけのことで、この方は当時から一貫していたのだと思います。
今にして思えばどうでもいい話ですが、この方のおかげで私はサラリーマン人生の最後に“人として大切なもの”と“サラリーマンとして大切なもの”は同じなようで実は異なるものだということを学ばせていただきました。
結局のところ、そこが同じであれば自分にとって“良い会社”だと感じることもできたのだろうと思いますが、実際には人としてダメなことだと分かっていても経営者が望むことをやるのがサラリーマンであり、そこで認められたければ“忖度”は必須ということです。
やはり“勝ち組”に共通して言えることは仕事ができるできないに関わらず、この“忖度”をわきまえた人間だと思うんですね。
つまり、結論としては“人として大切なのは筋道”であっても“出世に大切なのは忖度”ということが言えませんか? 少し嫌らしく聞こえるかもしれませんが(笑)
もちろん、どちらを選ぶのかはいつも書いてるように“人それぞれ”の考え方次第ですが、私の基準としては単純明快でどちらを選択するにしてもその判断が”カッコいい“か”カッコわるい”か、これに尽きます。
その基準で判断すると、私はこの会社における“勝ち組”に対してどう考えても「そういう人間にはなりたくない」という答えにしかならないんですね。そこに関していえば、もう「お金の問題ではない」とさえ言えます。
ただ、私もそうは言っても時に多少の“忖度”は必要だと思いますし、絶対にナシとまでは言い切れません。ですが、それがあからさまに感じ取れてしまうとやはり見るに堪えないというか、カッコわるいな~と思ってしまうだけです。
ということで、何事もバランスが大事かと思いますので「ご利用は計画的に」ってことで話をまとめておこうと思います。
2024年11月17日 23:29